日本を代表する音楽家・藤山一郎 与野(さいたま市)との深き縁 「第一回 藤山一郎・没後21年記念音楽祭」

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藤山一郎と桐野義文氏

 

第一回 藤山一郎・記念音楽祭 ~与野(さいたま市)との深き縁~

2014年11月13日(木)14:00~16:00

さいたま市産業文化センター1階ホール

 

入場料999円

 

主催 藤山一郎没後21周年記念音楽祭実行委員会
ゲスト桐野義文氏 (和幸楽器会長 藤山一郎元伴奏者)

 

お問い合わせ カフェギャラリー南風・蔵の家内

さいたま市中央区本町西2-2-24 TEL&FAX 048-764-8850 090-4600-1027(山田)

http://gallery-minakaze.sakura.ne.jp/

 

 

さいたま市産業文化センター http://sports.geocities.jp/saitama_sanbun/

 

前戦後を通じ、明るく爽やかな歌声で人々を魅了した歌手、藤山一郎が亡くなって、早21年になる。年輩者なら『影を慕いて』『酒は涙か溜息か』の曲名を聞くだけで、メロディと共にその時代の記憶がよみがえるだろう。『青い山脈』などは、今でも「あなたが一番聴きたい歌謡曲」ランキングで常に上位を占め、老若の差を超えて支持されている。日本の歌謡史に大きな足跡を残した藤山一郎は、意外にもさいたま市(旧大宮・与野両市)との縁が深い。

大宮駅西口の「和幸楽器」といえば開業して半世紀の老舗楽器店。創業者で現会長の桐野義文さんは、藤山一郎と33年間、影のように付き添い、ステージを共にした伴奏家だった。「伴奏者でありながら、マネージメントから秘書役、付き人、裏方まで兼ねた立場でした。どこへ行くにも一緒で、先生(藤山)のご家族に近い位長い時間を共に過ごしたこともありました」――

 

旧与野市の市歌「与野市民歌」を歌昌した縁で旧与野市に遺族から遺品を寄贈され、与野図書館(さいたま市立与野図書館)に愛用のピアノも展示されている。藤山一郎のピアノ伴奏者でもあり藤山一郎と与野の“橋渡し役”を行った和幸楽器会長の桐野義文氏をゲストとして招き話を聞く。藤山一郎の演奏を聴いたり、歌ったり、楽しめる音楽祭。

 

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昭和を代表する声楽家
藤山一郎(ふじやま いちろう)
本名・増永丈夫

明治44年、東京・日本橋生まれ。6歳の時からピアノを習い、慶応義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、昭和4年東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽部)声楽科に入学。同8年首席卒業。在学中から「藤山一郎」の名で、コロンビアよりレコード「丘を越えて」「影を慕いて」等を吹き込み大ヒット。以後、テイチク、ビクター、コロンビア各レコード会社を経てNHK音楽部に嘱託。戦後、「青い山脈」「東京ラプソディ」「長崎の鐘」など、多くのヒット曲を放つ。平成4年国民栄誉賞を受賞。

 

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株式会社和幸 代表取締役会長
桐野義文(きりの よしふみ)
本名・吉村義史

昭和15年生まれ。39年東京藝術大学音楽部器楽科卒業。大学在学中よりエレクトーンを始め、道志郎、斎藤超の両氏に師事。日本楽器(ヤマハ)専属プレイヤーとして活躍。日本テレビ系列『夢を育てよう~九ちゃんの明日があるさ』のレギュラー出演、41年テレビ『エレクトーン教室』の講師として出演する。北米、欧州、東南アジア25カ国、150都市でエレクトーンコンサートを開催。44年以降は楽器店経営に携わるかたわら、藤山一郎はじめ多くの歌手の伴奏をつとめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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